カンデーレのなんでもノート

考えていることを書きだすノートです!

小学校の英語教育を考えることを通して

 こんにちは。

 最近、本棚を整理しています。何せスペースに限りがあり、何冊も置けるわけではないため、過去に買い溜めた本1冊1冊を手に取り、今後も読むだろうかと、検討しながら仕分けているところです。

 そんな中で今読んでいる1冊が、『小学校からの英語教育をどうするか』というタイムリーな話題の1冊です。

 

 

 「岩波ブックレット」の良さは、なんと言ってもちょうど良い内容量です。最後まで読み切るとなると、多少なりとも労力を要しますが、これなら私でも読み切れます。ありがたいです。

 

 私の捉えなので間違いがあるかもしれませんが、思ったことを書いてきたいと思います。

 筆者らは、現在の英語教育で往々にして「トレーニング」のようなものが行われているのではないかと、問題にしていました。

 それは、目指すところ、社会人になって仕事で使うスキルとして考えていることにあります。学生の時であれば誰しもは一度でも、英単語帳を片手に、暗記に一生懸命であった時期があったと思います。英語の試験に合格し、何級だとか、スコアがいくつだとか、それが就職時のステータスとなることからも、そこにモチベーションを感じて取り組んでいたと思います。

 本の中で、その現状について触れられています。以下引用します。

 受験という外発的動機づけで管理され続けた高校生の多くは、受験が終わるとその教科の勉強を嬉々として止め、大学でも最小限の労力で最高の成績を取ることにしか興味をもたなくなりますが、(略)(P24)

 まさに自分もそうでした・・。

 この本で目標としていることは、そういった考え方から改善を図り、子どもたちの「こころ」を揺さぶるような英語教育をと考えられています。

 

 私はこの本を読んで感じたことがいくつかあります。

 一つ目は、なんのために英語を学ぶのかという「意味付け」をすることに難しさがあるということです。小学生に向けて、「なんのために?」と問いかけたとき、おそらくは「将来使うことになるから」と大人になった自分をイメージして意味を見出すのではないでしょうか。中には受験を考えている子がいれば、そこに意味を見出す人もいるはずです。確かに普段の生活の中で、英語圏の人と関わる機会は少ないです。なおさら、英語を使う意味が持ちにくいと思います。

 二つ目はやはり、授業の難しさがあるということです。小学校では5年生以上から、「外国語」が教科となりました。中学校での学びを想定し、その基礎を身につける目的があると思います。教科となった以上、資質・能力を身につけることに重きを置かなければなりません。ただ単に、英語に触れる、親しむだけでは、目指すところに辿り着かないためです。そうなった場合に、どうやって授業を行うべきでしょうか。

 これまでの「外国語活動」では、文法や筆記等に力を入れるというよりも、まずは音や言葉に親しむ、どんな意味だろうと考えて、見様見真似でもやってみるといったことが大事とされてきました。小学校の段階で、そのような「親しむ」というところに力を入れることは大事だと思います。教科化になったとはいえども、やはり言葉に親しんでいくという考えは持ち続けていくべきだと思います。

 この本を読んで改めて気付かされたことは、「英語は言葉、言語である」ということです。何を当たり前のことを・・と思われるかもしれませんが、突如ポン!と取り入れられた教科に翻弄されるあまり、私の中で「外国語」の学習が、「国語」のように言葉を学ぶものであるという意識が薄かったと思いました。つまり、言葉は授業や学校生活も含めた日常で使ってこそ、身につくものだと思うからです。「国語」はどの学習においても、根幹となる教科です。道徳のように、「要」のようなものとして私は捉えています。「外国語」も同じことです。言葉がなければ、伝えることはできません。ですからどのきょうかでも通用する、言葉の一つとして、外国語を捉えることができれば、少しは現状の問題点を打破できるのではないかと思いました。(この点は筆者らが主張していたことです。)

 

「からだ*1」と「こころ*2」がゆさぶられるからこそ、英語も身につくわけです。(P51)

 という筆者の言葉が印象に残りました。言葉は、必要を感じなければ、身につかないと思ったからです。例として、他教科と英語のつながりを意識した実践が載っていました。揺さぶるような学習をしていくためには、子どもたち自身がまず、なんのために英語を学ぶのかがわかるようにしていかなければならないと感じています。年齢的に、英語を使う意味を見出すのは、私は難しいことだと思っています。そうなれば教える側としては、英語を使う機会を増やしたり、身近であるAETとのつながりを深めていくなどの手立てをとっていくのが良いと考えています。それも決して容易いことではなく、一個人(一担任)としてではなく、学校として動かないといけないところでもあるでしょう。

 受験のため、というだけで終わらず、一生モノの学びとして捉えることができればと、常に思っています。

*1:この言葉が指すものについては、説明を省略します。

*2:上記に同じ