カンデーレのなんでもノート

どんなブログか!それは書きながらはっきりさせていきます!

楽しみを見つけたい。

 先日ありがたく、ボーナスをいただきました。自分からすればたいそうな額。ありがたい限りです。

 さて何に使おうかな。と思う反面、通帳に入った額をみて「なんだか使うのがもったいないなあ」と思う自分。

 どうしようかな・・・。

 

 とはいうものの、使い道がないのも事実。ディズニーの年パスをまた買うかな?と思いつつも、そんな頻繁にけないし、旅行にでも行こう!と思いつつも、行きたい場所がなかなか思い浮かばない・・・。

 

 加えて最近の悩みが、「楽しみがない」こと。

 子ども時代は、あれこれ楽しみがあって、よかったなあと過去を振り返るも、そりゃあ大人になれば、働かなければならない故、自由な時間も限られてくるので、昔ほど楽しみが減るのは当然のこと。

 でもなあ、何か楽しみがないかな。

 

 休日の過ごし方と言えば、「ぐったり」。横になって寝る、こうやってパソコンに向かっては、You Tubeをみたり。ブログを書いたり。

 それくらいしか楽しみがない。

 

 仕事疲れで、外に出ようという気力すらない。ましてや人ごみに行くなんてもってのほか。行くだけで嫌な気分になる。

 じゃあ、どうすればいいのか・・。

 せっかく去年買った、バカ高いカメラもあるのに、撮りに行こうという気力もなく。

 

 楽しみというかなんというか、気分転換をしたいという気持ちが大きい。仕事のことで悩む毎日。月曜日がいつも辛い。仕事に身が入らないから、うまくいかない。それじゃダメなのはわかっているけど、気持ちが追い付かない。

 だからこそ、何か楽しみでも見つけて、気分転換できたらいいのになと思う。

 

 映画でも見に行くかな?でも、それで一日が終わっちゃうのもむなしい。

 そんなこと言っているから、楽しみが見つからないのかもね・・。

 充実した1日を過ごせば、1日なんてあっという間のはず。それを嫌がっていたら、楽しみなんて見つかるはずがない、のかもしれない。

 だらだら過ごして、気づけば夕方。あー、また1日が終わった。明日から仕事。それが嫌になる。時計を見ては、時が過ぎていくのをみて、それが嫌だからベッドに入って寝る。寝る暇があるのなら、何かすればいいのに・・。

 

 こうやって書いていると、いかにも考えが矛盾していることに気付く。わかっているつもりなんだけど、なんだかつらい。

 ただ単に、楽しみを見つけて「明日からまた頑張るぞ!」って気持ちになればいいだけなのに、なんでこんなにも悩まなければならないのか・・。

 

 答えは、意外とすぐに出ることなのかもしれない。とにかく何かしらやってみる。休みなんて、またすぐにやってくるのだから・・・。

未来を見つめて

 「ユーミンからの、恋のうた。」というCDを聞きました。

 実は中学生のころから、ユーミンの曲が好きでした。歌詞の意味というよりも、曲調が好きだったところから始まっているのですが。

 

 CDについているブックレットの中に、ユーミンの言葉がかかれていました。そこにこんな文章が。

歌を聴きながら、昔を懐かしく想うこともあるでしょう。

でも思い出は、未来に目を瞑るためのものではないのですよ。

明日を生きるために、あるのです。

明日へ一歩踏み出すために、思い出から力をもらうのです。

 

 仕事がなんだかつらく感じて、逃げ出したくなる毎日。仕事を変えようかなと何度も思いました。

 小さいころ、昔を思い出して、あの頃に戻りたいなあと思うこともしばしば。

 

 未来への漠然とした不安があります。でも、そこから逃げてはいけないのだなあと、なんかだユーミンの言葉が重く感じられました。

 明日への一歩を、踏み出すことを恐れずに。生きていこうと思いました。

撮りたいものがあるから

 前回のお話の続きみたいなものですが、やはり高いカメラほど、「この写真を撮りたい!」というものがあったほうが撮るのも楽しいのだと思います。

 「記念に」撮っておく程度であれば、スマホのカメラで十分かもしれません。

 

 重ーいカメラです。携帯性は悪いと思います。長いこと肩から下げていると、肩が痛くなりますし、腰のところにカメラが当たっていたいです。首から下げると、胃にあたっていたいので下げることもできません。

 それに、いちいちしまったり出したりするのも面倒です。それが面倒に感じて、結局写真を撮ろうと思わなくなってしまう・・・。

 

 長続きしないのも私の悪い癖です。何をやっても続かない。そういうこともあって、カメラも結局、楽しいと感じない・・。

 それじゃあ、ダメなんですけどね。

 

 ただ、時間をおいてからもう一度カメラをみると、「撮りたいな」と思うんです。つまり、熱しやすく、冷めやすいってこと?

 無理に続けないくてもよく、やりたいときにやるのでもいいのかもしれません。仕事ではないのだから、続けることにこだわらなくてもよいのかもしれません。

 ただ、やりたいことがみつからないときほど、つらいことはないです。休みの日など、やりたいことがなくて、楽しいことがなくて結局家にこもってしまいます。

 続くといいんですけどね。やっぱり。

 

 撮りたいものを見つけようかな。そのほうが撮るのが楽しく感じるのかもしれません。パッと思いつくものがないのですが・・。

カメラで写真を撮っても・・

 写真を撮るのが好きです。

 あの「カシャ!」というシャッター音と、カメラを構えた時がとくに好きです。

 

 でも不思議なもので、撮ってしまえばそれで終わり。写真を後で見返すようなことはめったにないのです。

 何のために写真を撮っているのか・・?自分でもよくわかっていません。

 

 旅行先で、初めて見たもの、きれいだと思ったもの、観光名所・・・。こういうものを見かけたときに「撮りたいな」と思います。あとで見返したときに「なつかしいなあ」としみじみ感じたいなと思っているからでしょうか。見返したりはしないのですが・・。

 

 「この風景を撮りたい!」と思ってカメラを持ち出すことは稀です。まず先に旅行先が決まって、「記念に。」とカメラを持って写真を撮るといった感じです。

 

 そうだ、「記念」です。記念にとっておくために撮っているんです。「そこに行ったぞ!」「今しか見れない景色を見たぞ!」という記念のためにとっているんです。

 

 馬鹿みたいに高ーいカメラを買ったので、画質はかなりきれい。でも、「いい写真が撮れたな!」と思うことはめったになく、なんだか満たされない感じが・・。

 

 そもそも、撮りたいものがないからかもしれません。ディズニーランドでも行けば、撮りたいと思う景色はあるのですが、でもなんだかありきたりな写真ばかりで、撮れたとしても満足しません。そんなに頻繁にいくわけでもないので、季節限定の風景やもうすぐクローズするアトラクションを撮る。やっぱり「記念」のための写真です。

 

 撮りたい写真があるわけじゃない、かといって撮るのが嫌いなわけでもない。なんだかもどかしいというか。「いいな!」と思える写真を、印刷して部屋に飾ったりできれば、面白いのでしょうか。やったことないのですが。

 

 せっかく高ーいカメラがあるので、撮らないのもなんだかもったいないです。撮りたい写真を見つけて、撮影旅行にでも行くのがいいのでしょうか・・。撮影のために、というのもなんだかもったいないような気がして。(貧乏性・・)

 

 ・・・と、なんだかまとまりのない文章になってしまいました。

学ぶことは真似することから始まる

 自分はわすれっぽいなあと思う。

 学生時代に学んだことも、今はほとんど覚えていない。

 なんて記憶力のない人間なんだ!と落ち込むことがある。(落ち込みすぎ?)

 

 社会人になって2年と数ヶ月。新しく覚えることがたくさんある。でもなかなか覚えられない。

 「こうするといいよ」とかいろいろ教えてもらうのだけれど、聞いただけでは何とも・・。

 

 職業柄「学ぶこと」が多い。覚えるというよりも「学ぶ」。

 いろんなものを見たり聞いたりして「学ぶ」。

 でもそういうものって、結果的に、自分のものになっていない。つまり、学んだことになってない。

 

 人間って、どういう時に「学んだ」と言えるのだろう。その答えを探すために、佐伯胖さんの『学びの構造』という本を読んでいる。

 覚えれば学んだことになるかといえば、それは違う。佐伯さんもそう言っている。

 「覚える」というよりも「わかる」。わかるようになることが、学びにつながる。

 

 昔どこかで聞いたのだが「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」、つまりマネをすることから来ているのだそうだ。

 初めて見るものを、見よう見まねで自分で真似して動いてみる。そうすることで、それが自分の経験となる。

 経験があることが、「わかる」ことにつながるということについても佐伯さんは言っていた。確かに、経験がないと、学びにつながっていかないよなあと思う。

 

 よく「勉強不足」だとか言うけれど、まず第一に「真似したい!」と思えるものがないと学べない。

 それが土台となって、学んでいくのだから。

 

 佐伯さんの本はまだ途中までしか読めていない。だから「学ぶ」とは何なのかはまだはっきりわかっていない。

 もう少し時間をかけて読んでいきたいと思う。

 

 

「学び」の構造

「学び」の構造