学ぶことは真似することから始まる
自分はわすれっぽいなあと思う。
学生時代に学んだことも、今はほとんど覚えていない。
なんて記憶力のない人間なんだ!と落ち込むことがある。(落ち込みすぎ?)
社会人になって2年と数ヶ月。新しく覚えることがたくさんある。でもなかなか覚えられない。
「こうするといいよ」とかいろいろ教えてもらうのだけれど、聞いただけでは何とも・・。
職業柄「学ぶこと」が多い。覚えるというよりも「学ぶ」。
いろんなものを見たり聞いたりして「学ぶ」。
でもそういうものって、結果的に、自分のものになっていない。つまり、学んだことになってない。
人間って、どういう時に「学んだ」と言えるのだろう。その答えを探すために、佐伯胖さんの『学びの構造』という本を読んでいる。
覚えれば学んだことになるかといえば、それは違う。佐伯さんもそう言っている。
「覚える」というよりも「わかる」。わかるようになることが、学びにつながる。
昔どこかで聞いたのだが「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」、つまりマネをすることから来ているのだそうだ。
初めて見るものを、見よう見まねで自分で真似して動いてみる。そうすることで、それが自分の経験となる。
経験があることが、「わかる」ことにつながるということについても佐伯さんは言っていた。確かに、経験がないと、学びにつながっていかないよなあと思う。
よく「勉強不足」だとか言うけれど、まず第一に「真似したい!」と思えるものがないと学べない。
それが土台となって、学んでいくのだから。
佐伯さんの本はまだ途中までしか読めていない。だから「学ぶ」とは何なのかはまだはっきりわかっていない。
もう少し時間をかけて読んでいきたいと思う。