撮りたいものがあるから
前回のお話の続きみたいなものですが、やはり高いカメラほど、「この写真を撮りたい!」というものがあったほうが撮るのも楽しいのだと思います。
「記念に」撮っておく程度であれば、スマホのカメラで十分かもしれません。
重ーいカメラです。携帯性は悪いと思います。長いこと肩から下げていると、肩が痛くなりますし、腰のところにカメラが当たっていたいです。首から下げると、胃にあたっていたいので下げることもできません。
それに、いちいちしまったり出したりするのも面倒です。それが面倒に感じて、結局写真を撮ろうと思わなくなってしまう・・・。
長続きしないのも私の悪い癖です。何をやっても続かない。そういうこともあって、カメラも結局、楽しいと感じない・・。
それじゃあ、ダメなんですけどね。
ただ、時間をおいてからもう一度カメラをみると、「撮りたいな」と思うんです。つまり、熱しやすく、冷めやすいってこと?
無理に続けないくてもよく、やりたいときにやるのでもいいのかもしれません。仕事ではないのだから、続けることにこだわらなくてもよいのかもしれません。
ただ、やりたいことがみつからないときほど、つらいことはないです。休みの日など、やりたいことがなくて、楽しいことがなくて結局家にこもってしまいます。
続くといいんですけどね。やっぱり。
撮りたいものを見つけようかな。そのほうが撮るのが楽しく感じるのかもしれません。パッと思いつくものがないのですが・・。
カメラで写真を撮っても・・
写真を撮るのが好きです。
あの「カシャ!」というシャッター音と、カメラを構えた時がとくに好きです。
でも不思議なもので、撮ってしまえばそれで終わり。写真を後で見返すようなことはめったにないのです。
何のために写真を撮っているのか・・?自分でもよくわかっていません。
旅行先で、初めて見たもの、きれいだと思ったもの、観光名所・・・。こういうものを見かけたときに「撮りたいな」と思います。あとで見返したときに「なつかしいなあ」としみじみ感じたいなと思っているからでしょうか。見返したりはしないのですが・・。
「この風景を撮りたい!」と思ってカメラを持ち出すことは稀です。まず先に旅行先が決まって、「記念に。」とカメラを持って写真を撮るといった感じです。
そうだ、「記念」です。記念にとっておくために撮っているんです。「そこに行ったぞ!」「今しか見れない景色を見たぞ!」という記念のためにとっているんです。
馬鹿みたいに高ーいカメラを買ったので、画質はかなりきれい。でも、「いい写真が撮れたな!」と思うことはめったになく、なんだか満たされない感じが・・。
そもそも、撮りたいものがないからかもしれません。ディズニーランドでも行けば、撮りたいと思う景色はあるのですが、でもなんだかありきたりな写真ばかりで、撮れたとしても満足しません。そんなに頻繁にいくわけでもないので、季節限定の風景やもうすぐクローズするアトラクションを撮る。やっぱり「記念」のための写真です。
撮りたい写真があるわけじゃない、かといって撮るのが嫌いなわけでもない。なんだかもどかしいというか。「いいな!」と思える写真を、印刷して部屋に飾ったりできれば、面白いのでしょうか。やったことないのですが。
せっかく高ーいカメラがあるので、撮らないのもなんだかもったいないです。撮りたい写真を見つけて、撮影旅行にでも行くのがいいのでしょうか・・。撮影のために、というのもなんだかもったいないような気がして。(貧乏性・・)
・・・と、なんだかまとまりのない文章になってしまいました。
学ぶことは真似することから始まる
自分はわすれっぽいなあと思う。
学生時代に学んだことも、今はほとんど覚えていない。
なんて記憶力のない人間なんだ!と落ち込むことがある。(落ち込みすぎ?)
社会人になって2年と数ヶ月。新しく覚えることがたくさんある。でもなかなか覚えられない。
「こうするといいよ」とかいろいろ教えてもらうのだけれど、聞いただけでは何とも・・。
職業柄「学ぶこと」が多い。覚えるというよりも「学ぶ」。
いろんなものを見たり聞いたりして「学ぶ」。
でもそういうものって、結果的に、自分のものになっていない。つまり、学んだことになってない。
人間って、どういう時に「学んだ」と言えるのだろう。その答えを探すために、佐伯胖さんの『学びの構造』という本を読んでいる。
覚えれば学んだことになるかといえば、それは違う。佐伯さんもそう言っている。
「覚える」というよりも「わかる」。わかるようになることが、学びにつながる。
昔どこかで聞いたのだが「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」、つまりマネをすることから来ているのだそうだ。
初めて見るものを、見よう見まねで自分で真似して動いてみる。そうすることで、それが自分の経験となる。
経験があることが、「わかる」ことにつながるということについても佐伯さんは言っていた。確かに、経験がないと、学びにつながっていかないよなあと思う。
よく「勉強不足」だとか言うけれど、まず第一に「真似したい!」と思えるものがないと学べない。
それが土台となって、学んでいくのだから。
佐伯さんの本はまだ途中までしか読めていない。だから「学ぶ」とは何なのかはまだはっきりわかっていない。
もう少し時間をかけて読んでいきたいと思う。
過去に縛られて悩みすぎない
自分の弱さでもあるのですが、何か嫌なことがあるとそればかりが気になってくよくよしてしまいます。
悩み、失敗、嫌なこと、いろいろあります。その度に悩んでいるわけです。
似たような状況に出くわすと、過去のことを思い出して悩んでしまうものです。例えば、任された仕事、役割をこなす上で嫌なことがあった、という過去があって、1年後また同じ役割を任された時などです。「あの時あんなことがあったなあ。また同じことにならないといいなあ」など。不安というかなんというか、いやだなあと思います。
嫌なこと、というのは嫌な気持ちになること、やりたくないなあと思うようなこと、恥ずかしい思いをしたことなどなど。
その度に悩むわけです。
でも、 悩んでいたって何にもならない!ですよね。悩んで嫌な気持ちになるのがなんだかばかばかしいというか、なんでそんなことで嫌な気持ちにならないといけないのか、と思います。
嫌なことは忘れて、楽しいことだけを考えればいいのかもしれません。
・・・と言って終わればいいのですが、これとは別にまた、違うことで悩んだりもするのです。
自分の短所が目立つときです。
スポーツができない、話がうまくないなど、短所を感じるときに悩みます。「これができないんだよなあ」、「なんでできないのかな」、「できるようになるのかな」とか。
上で書いた通りなのですが、悩んでも仕方がないことです。できないことはできない!と吹っ切れるか、できるようにするかのどちらかしかありません。
「嫌なこと」「できないこと」という過去の自分に縛られすぎているのかもしれません。挽回する方法はあると思います。少しでも今の自分をよくしようと考えて、行動するのかよいのかもしれません。
なんだか自問自答みたいな感じで、何をしたかったのかよくわからない形になってしまいました。とにかく、「悩みすぎない」をモットーにしたいと思います。
ハマれるものがあるうれしさ
ハマるものがあるって、いいよなあと思います。
先日お台場の日本科学未来館に行ってきました。「ディズニーアート展」をみるためでした。
見終わったあと、常設展示も見られるということだったので、見てみることにしました。
テーマは「科学」。宇宙、人体、化学などなどを科学の視点から学ぶというものでした。
ボランティアのスタッフの方があちこちにいらっしゃって、ブースに行くたびにいろんなことを教えてくださいました。
国際宇宙ステーションを地球から見ることができるということや(詳しくはJAXAのHPに)、宇宙飛行士の個室のうち、窓がついているのはわずかであるということなどなど、マニアックなお話で面白かったです。
元素周期表のことについて教えてくださる方も。例えば亜鉛とカドミウムは、周期表で上下の関係。電子の数が同じというところからも似ている元素だそうです。そのため、人間の体はその2つの区別がつかなくて、亜鉛と似ているカドミウムも吸収してしまうのだそうです。亜鉛は体に良いものですが、カドミウムは・・・。
そんな楽しいお話を聞かせてくださったボランティアの方々。語るときの表情や話し方からは、熱意を感じました。どの分野でも、まだまだ未知の世界が広がっているようです。それらを追究していくというのは、なんとも楽しいことだと思います。
そうやって何かにハマることができるというのは、うれしいことではないでしょうか。科学に無知な私でも、面白いなあと感じてしまうほど、何かにハマっている人はとても魅力的に見えます。
自分も、何かハマれるものがあるといいのになあとうらやましく思ってしまいます。何せ三日坊主で続かない自分。何かにハマるということがこれまでなかなかありませんでした。ハマりすぎて、周りが見えなくなってしまうのも怖くて、面白いなあと思ったものでも、深追いするのをためらってしまうこともありました。
・・・なんて言っていては、ハマるものなんて見つかるはずがありませんね。面白いと思ったものから始めてみるといいのかもしれません。
見つかるといいなあ・・・
と、気づけばもう閉館時間でした。とても楽しい1日でした。